大杉先生のインタビューの様子を、手話でご覧いただけます。
記事の内容から特に重要なメッセージを抜粋し、動画にまとめています。
――本日はお忙しい中ありがとうございます。はじめに、大杉先生の簡単な自己紹介とデフリンピックにどのような形で関わっているか教えていただけますか。
大杉先生:大杉豊です。サインネームはなく、「大杉」という手話で呼ばれており、世界中でもこの手話で呼ばれています。以前は「大杉」の手話が略されたり、順番が逆だったりすることがありましたが、今では「大杉」で定着しつつあり、嬉しく思っています。
私は、2006年から筑波技術大学に着任し、今年でちょうど20年になります。ここでは、ろう・難聴の学生たちに日本手話言語やアメリカ手話(ASL)を教えているほか、ろう・難聴者が社会参加するにあたって必要な知識や技術、ろう・難聴者である自分の生い立ちを振り返る「自分史」も教えています。
大学外でも社会に対してさまざまな貢献をしてきました。
京都府にある手話言語研究所への協力
手話言語法の制定活動:全日本ろうあ連盟などと連携し、手話言語法制定に尽力しました。つい先日、手話に関連する法律が成立⋯したといっていいのかな。国会で承認され、施行されました。
デフスポーツの振興:国際ろう者スポーツ委員会の副会長を努めています。今年で4年目になりますね。
――デフリンピックについて色々お聞きします。大杉先生がデフリンピックに関わるのは今回が初めてとなるのでしょうか。それとも過去に関わってきましたか。
大杉先生:10年間アメリカに住んだあと、2000年に帰国し、全日本ろうあ連盟の本部で6年間所長を努めました。ここでは、福祉や人権推進のために政府との交渉を主に担当していましたが、スポーツ分野にも深く関わりました。
具体的には、日本のきこえないスポーツ選手が国内外の大会に出場する際、私は事務手続きの責任者として、その管理や大会の運営に携わってきました。国内の「全国ろうあ者体育大会」には毎年行っており、2001年にローマで開催されたデフリンピックを機に関わり始めました。夏季・冬季大会、どちらも4年ずつ選手団の総務として、選手の世話役として活動しました。デフリンピックだけではなく、国際ろう者スポーツ委員会の総会にも日本代表として参加してきました。
今回の東京デフリンピックは、初めて関わるわけではなく、これまで夏季・冬季を合わせて、いくつかな・・・。10回ほどの大会に関わってきました。
――デフリンピックが東京で開催されることには、どんな意義があるとお考えですか?
大杉先生:世界中のろうスポーツ選手、監督、スタッフが「まだか、まだか」と、東京でのデフリンピック開催を心待ちにしていました。これまでデフリンピックが東京で開催されたことはありませんでした。
過去に遡って話すと、日本がデフリンピックの開催に立候補したのは、今年開催されるデフリンピックを含めて3回の試みがありました。1回目は投票まで進みましたが、アメリカにわずか1票差で敗れてしまいました。それから日本での開催は難しいと感じ、しばらく立候補を避けていた時期もありました。そのあと、夏季と比べて規模が小さい冬季大会で再度立候補が検討されましたが、開催することが難しいということが判明し、立候補を取り下げたんです。それが2回目となります。そして、今回が3回目の立候補で、ついに日本での開催が実現したのです。世界中が待ち望んでいた日本での開催が決まり、世界中が楽しみにしています。
また、今年11月に開催される夏季デフリンピックは第25回大会にあたり、デフリンピックは、昨年でちょうど100周年を迎えました。101年目の新たなスタートとして、これからのデフスポーツやろう者の生活が発展していくことを願う良い機会だと思っています。
最近、手話に関する法律が承認されたことも、デフリンピック開催と関係があると思っています。東京デフリンピックが開催するにあたって様々な人、特に政府や議員の方々が「デフリンピックを開催するのに、手話に関する法律がないのはまずいのではないか」と考えたことも、後押しになったのではないでしょうか。デフリンピック開催に向けた機運を高めるためにも、大会直前に法律が成立したのは良い流れができたのではないでしょうか。
日本としては、先程話したように手話に関する法律が成立したこと、そしてデフリンピックが盛り上がったあとも、さらなる新しいスタートを切ってほしいと願っています。ろう者一人ひとりの生き方は多様であることを知っていただき、手話が言語として重要であることを広く認識していただきたいのです。口話や筆談に頼ることなく、いつでもどこでも手話で自由にコミュニケーションが取れる社会を目指す。その信念のもと、皆さんと共に新たな一歩を踏み出す良いきっかけになるのではないかと思います。
――続いて国際手話講座についてお聞きします。まず、国際手話講座は大杉先生が主体として開講されたのですか。
大杉先生:そうです。
――大杉先生が主体として開講された理由、流れをお聞きしたいです。
大杉先生:筑波技術大学天久保キャンパスでは、デフリンピック開催期間中の2週間ほどは授業が休講になります。その分、夏季休暇は短くなってしまいますが(苦笑)。でも、学生や教員、スタッフが一丸となってデフリンピックに協力する形で進めることになりました。学生たちも何人かな⋯。100人ぐらいの学生がボランティアとして派遣される予定です。中島先生が中心になってボランティアのまとめ役をやっていて、ボランティア活動の中ではすでに広報活動が始まっています。
東京で開催されるデフリンピックでは、日本の選手だけじゃなく、海外からたくさんの選手も来ますよね。その分、ボランティアとのコミュニケーションも増えるでしょう。その時、うちの学生たちがうまくコミュニケーションができなかったら、私、恥ずかしいなと思って(笑)。
私は、デフリンピックに深く関わっているので、その分責任もあります。コミュニケーションができないただ動くだけのボランティア団体だと思われたらと恥ずかしくなります。それに学生たちが「コミュニケーションができなかった」という悔いが残ってしまう方がもったいないのです。
開催期間は短いですが、できることはたくさんあるはずです。デフリンピックが開催される前に準備としてなにかできないかと考えました。私自身すごく忙しいんですが、「学生たちが国際手話に興味を持ってくれなら、やろう」という気持ちで、呼びかけたらあっという間に申し込みがたくさん来て。それが国際手話講座を開講した理由であり、そういう流れなんです。
――そもそも国際手話とは何か、簡潔に説明をお願いします。
大杉先生:そもそも、国際手話って「言語」ではないんですよ。あくまで、コミュニケーションの「手段」なんです。
例えると、日本人ろう者と外国人ろう者が話そうとするとき、お互いの手話が違うので、日常から使っている日本の手話が通じないんですよね。そこで、「どうにかしてコミュニケーションを取りたい」とお互いが工夫する、日本の手話ではなく、もっと身振りを増やしたり、指差しを使ったり、演技を交えたり⋯。色んな方法でコミュニケーションを取ろうとする。それが国際手話です。簡単に言えば、ですよ。
海外に出て、たくさんのろう者と交流してきた経験が深い人なら、自然と相手の言いたいことがなんとなく分かってくるものです。そうした経験を積み重ねた人たちが集まって手話で話すと自然と通じ合える。つまり、人と人のコミュニケーションから自然と生み出されたのが国際手話なのです。
――国際手話講座を受講している人たちの中には、手話がネイティブな人もいれば筑波技術大学に来て初めて手話を覚えた人もいます。学生の手話のレベルが異なる中で、どんな配慮や工夫をされているでしょうか。
大杉先生:大事なのは、自分の技術に自信がなくても、みんながひとつの場所に集まるということです。中には「あまり手話がうまくないから⋯。」や、口の形や声を必要とする学生も何人かいます。
正直なところ、私は「いつか講座に来なくなっちゃうんじゃないかな」って思っていたのです。ところが、みんなずっと参加してくれていて、びっくりしました。やっぱり助け合える温かい雰囲気があるからなんでしょうね。たとえ自分が話せなくても、その場にいて周りの人の手話を読み取るだけでも十分。そういう温かい気持ちがみんなを支え合っているんだと思います。
「前と比べて少しでも手話がわかるようになった」それが大切なのです。国際手話は、たくさん単語を覚えることが目的じゃないんですよ。どうすれば通じ合えるかを工夫すること、それこそが国際手話というコミュニケーション手段なんです。手話の語彙をたくさん知っていても、少ししか知らなくてもあまり関係ないんですよね。
――学生さんたちには、国際手話を今後どのような場面で活かしていってほしいとお考えですか?
大杉先生:私から学生たちに伝えたいことがあります。きこえる人の場合、音声言語を使うため、外国人と話そうとしても、言語が違うと、通じ合えないことが多いでしょう。世界で広く使われているのは英語ですが、今の日本で、小学生から高校生まで長い間英語を勉強して、発声練習もして、聞き取り練習もしてきたのに、いざ外国人とのコミュニケーションがスムーズにできる人って、意外とほんのわずかしかいないんですよ。国際交流に対して、不安を感じる人が多いでしょう。
それに対して、ろう者は「腹を決めて」国際交流に飛び込んでしまえば、あっという間にスムーズに交流できるようになるんです。それがきこえる人との大きな違いですね。
なぜかというとコミュニケーションの「ずれ」を埋めるために、ろう者は忍耐強くちゃんと目を合わせて、伝えたい気持ちで工夫していけば通じ合える、ということを知っている。世界中の誰でもいい、会ったらコミュニケーションしたい、通じ合いたい、という気持ちをまず作る準備をするという点では、きこえる人と比べてろう・難聴者のほうが優れていて、グローバル的な機会は多いんです。
今、学生たちが国際手話を学ぶ目的はデフリンピックにありますが、その先にある何かがに広げられるきっかけにしてほしいんです。どこかに出向いたとき、いろんなコミュニケーション方法を工夫して、最初は通じ合えなくても、なんとか通じ合える技術を身につけることは今後としても重要なことになります。何かの活動においても、自分自身に自信を持てるようになれるのではないかと思います。だから、学生たちにはデフリンピックのためだけではなく、その先を想像して、国際手話というコミュニケーション手段を身につけると良いと思います。
別の視点としては、大学内でのコミュニケーションもそうですね。ろう・難聴の教員は少なく、きこえる教員が多く、もちろんその中には手話が流暢な方も何人かいますが、まだ慣れていなくて、手話でのコミュニケーションが困難な方も多いですよね。
手話が分からない大学の職員に対して、学生たちが筆談ではなく、国際手話を身につけ、それを応用して、ジェスチャーや指差しを駆使して通じる努力をすれば職員さんにもきっと伝わる。そして、職員さんたちにも伝わる手段を知ることができれば、「これを使えば通じるんだ!」となり、コミュニケーションの幅がグッと広がると思うんです。
大学の中って、いっちゃえば外国と同じようなものですよね(笑)。職員の方々には失礼になってしまうかもしれませんが、文化も言語も違う外国人みたいなものですよね。そう考えると、日常的に国際手話コミュニケーションを試みるのもいいですね。
――先生ご自身として、デフリンピックにはどんな思いをお持ちですか?また参加者やボランティアたちに何か期待していることは何でしょうか。
個人的に、デフスポーツが良いと思う理由は、スポーツって分かりやすいからです。
演劇や芸術のように個性のあるものは「意図が分かりにくい」ということもありますが、スポーツならルールが統一されていますし、それに従って参加すれば誰でも楽しめる。上手い下手はあるかもしれませんが、いつでもどこでも楽しめるものがスポーツなんです。
スポーツに参加したり、観戦して応援したり。いろんな方法でスポーツに参加すれば、ろう者が自然と集まってくる。そこには手話でのコミュニケーションや目を合わせてコミュニケーションするという私たちの世界があるのです。
例えば手話演劇だと「この手話の表現方法どうしよう」と悩む事が多いのですが、スポーツではそれがないのです。なぜなら第一の目的はスポーツをすることなのですから。深く考えずスポーツを楽しんで、手話でコミュニケーションする。
外国人がいれば国際手話で交流できる、それがデフスポーツの良いところなのです。
今、ろうの子どもたちは、減っていて、一般の学校に通う子どもが増えていますよね。その親御さんに「ろう学校でいろんなろう者と交流したほうが良いよ」と言っても、「人数が少ないでしょ」「勉強ができるの?」「発声がうまくできなくなっちゃうじゃない?」という意見があったりします。
以前のろう学校は本当にたくさんの生徒がいて、先輩にも後輩にもたくさんいて、大きなコミュニテイがあったんですが、今では先輩が1人だったり、同級生がいなかったり⋯。本当に減りましたね。今からろう学校を増やしたり、手話を広めたいとお願いしても、無理なものですよね。だから、考え方そのものを変える必要があります。
その点、スポーツなら、スポーツが好きな人、したい人が集まるので、手話ができるかできないかは関係ないんです。
デフリンピックの出場資格は、聴力損失が55デシベル以上というだけです。手話ができるかどうかは含まれていません。手話ができないからと言って出場ができないということはありません。
手話ができない状態でデフリンピックに出場して、コミュニケーションが必要になったとき、手話の重要性に気づくんですよね。そこで手話での会話を試みたり、教えてもらったりして、少しずつ手話を身につけていく。これまでいろんな選手を見てきましたが、世界大会に出場する日本選手団の中には手話が流暢な人もいればそうでない人もいます。
手話が流暢な人は、国際手話を身につけるのも早くて、交流がスムーズで、男女関係なく友達がたくさんできるんです。それを見た手話ができない選手が「いいな、羨ましいな」と思って、手話を身につけたいという気持ちが湧いてくるのです。それも悪くないんですよね(笑)。
スポーツは表面上スポーツを楽しくやろうといって集まるのですが、無意識的に「手話が自由に使える場所」として残っていると思います。ろう学校だと生徒数の減少で残すのが難しくなっていますが、スポーツだと残せるんです。デフスポーツの集まりや大会をもっとたくさん開催すれば、たくさんのろう・難聴者が集まって、手話が広まっていくのではないか。それがデフリンピックに対する私の大きな期待です。
坂本:デフスポーツが目的だとしても、得られるものはたしかに多いものですよね。たとえ自分の居場所がなくなったり不安定になったりしても、手話があればコミュニテイに参加できるという点では大事なのかもしれませんね。
大杉先生:そうです。スポーツを通して自分の居場所を作る、ホームと同じですよ。それを作れるのはいいことですね。
――デフリンピックを通して学生ボランティアたちになにかアドバイスはありますか。
大杉先生:地域のお祭りやイベントなどにボランティアをすることもできるとおもいますが、デフリンピックのボランティアとは大きな違いがあるんです。
一般のイベントだと、きこえる人たちの中で何かトラブルが起きても私たちろう者にはなかなか情報が入ってこなくて、何が起こっているかわからない状況になりがちですよね。
でも、デフリンピックなら、国際手話があったり、周りの人から情報を得たりして、ちゃんと情報を掴めるんです。「なぜトラブルが起きたのか」「どう解決できるのか」を自分で考えることができる。朝からボランティア活動に参加するわけですから当然たくさんの情報が入ってきます。だからこそ、メンタル面も含めてしっかり準備が必要になります。
参加するからには恥ずかしがらず、良い機会だと思って思い切って積極的に動いて、情報を得てコミュニケーションを取って、「今何が起きているのか」を自分で把握していく努力を、ボランティアの学生たちには必要になると思います。積極的に参加すれば、視野が広がり、良い経験が得られると思いますよ。これは一般の大会では難しいことなんですが、デフリンピックだからこそできることなんです。
――最後に、ボランティアとして関わる学生たちに向けて一言メッセージをお願いします。
大杉先生:デフリンピックに限らず、筑波技術大学の学生は、他の大学と比べて本当に恵まれています。手話ができる教員や職員がいますし、字幕などの情報保障、環境も他と比べて整っていると思います。
だから、ただ座っているだけだったり、見ているだけではもったいないんです。私は、学生たちはもっとできると思っています。
思い切って積極的に行動する。そのためには、温泉ではないんですけど、「湯船に浸かって気づけば4年経った」ということではなく、もっと自分を磨く、自分を試す。そういう勇気を持って新しい挑戦を試みてほしいんです。もちろん新しい挑戦に不安を感じる人もいるかもしれませんが、デフリンピックは、それができるいい機会ですよ。
みんなで集まっているわけですから、変に思われることはない。みんなと支え合って、一緒に積極的に行動して、未来を切り開いていってほしいと思っています。きっと良い経験になりますよ。
――貴重なお話をどうもありがとうございました!