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障害者スポーツ(パラスポーツ)の発展と共に歩んできた人生(後編)

障害者スポーツ(パラスポーツ)の発展と共に歩んできた人生

Q.障害者スポーツやデフリンピック、ろう者のスポーツとの関わりについてお聞かせください。

デフリンピックに直接関わったことはあまりないのですが、ろう学校教員時代にきこえない生徒の体育の授業のやり方などいろいろ書いてきたこともあり、大学に入ってからろう者のスポーツとの関わりや世界的な動向について、本や論文を集めて読むなりいろいろと調べるようになりました。その頃、日本聾唖連盟(現全日本ろうあ連盟)の中に日本ろうあ体育協会があったのですが、日本聾唖連盟の本部がある新宿まで訪問した際には、国際ろう者スポーツ委員会が発行していた会報を研究用にといただいたこともあります。今はウェブサイトにいろんな情報の日本語訳が掲載されていますが、当時はそういうのもなく英語もあまり得意ではありませんでしたが自分で読んで翻訳したり、アメリカにFAXを何回か送って問い合わせをしたりするなど、様々な情報を集めていました。その内容をまとめて執筆したのが、「国際ろう者スポーツ委員会が国際パラリンピック委員会を離脱した要因について」という論文です。その後、日本の聾唖者の方20人ぐらいから「いろいろ調べてくれてありがとう」というお礼のメールをいただいたこともあります。聞こえる人がこういう研究をしてくれて嬉しいというのもあったのかなと思います。他にも、全日本ろうあ連盟スポーツ委員会主催の「デフリンピック啓発セミナー」に登壇させていただいたこともあります。

台北デフリンピック2009(第21回夏季デフリンピック競技大会)、現地会場にて(2009年)
デフリンピック啓発セミナーにて(2010年)

ろう学校時代とは違い、大学のサークル活動はほとんど学生に任せていたこともあり、毎日指導したり活動したりするようなことはありませんでした。ただ、時々土曜日や日曜日に、例えば関東地区の聾唖者の大会や日本の聾唖者の大会、体育大会などがある時は学生たちと一緒に行ったり、その時はいろんな人とコミュニケーションとって教えてもらったりしていました。

デフリンピックではないですが、全日本ろうあ連盟からの依頼でアジア太平洋のスポーツ大会の事務局員として、一度マレーシアにいったこともあります。3月に1週間ほど滞在しましたが、現地は30度ぐらいと暑くて半袖短パンで、日本に帰ってきた時は最高気温が10度ほどと薄着のままでしたので風邪を引きそうなぐらいでした。現地では、夜に交流会みたいのがあったのですが、参加者のほとんどが聾唖者で、聞こえる人は私を含めてわずかでした。国際手話やアメリカ手話ができなかったので、筆談するなりなんとかコミュニケーションを取ろうとしたのですが、なかなか大変でした。あの時ほど「聞こえることって、こんなに不便なんだ」と思ったことはないです。

ろう者以外にも、目の見えない人の体育授業の様子にも関心があり、1週間に1回ほど本学の春日キャンパスの授業に参加して教えてもらったりしていました。他にも、障害者スポーツ指導員の資格を取ったり、時々県の大会などにお手伝いに行ったり、車椅子のスポーツとか色んな障害のスポーツにも関心を持つようになりました。そのようなこともあり、茨城県障がい者スポーツ指導者協議会の会長を現在に至るまで25年ほど務めたり、日本パラスポーツ協会のメンバーにもなったりもしています。

授業でラートを教えている様子(2012年)

 

Q.ろう者のスポーツやデフリンピックについて、今後期待することはありますか。

きこえないということは、目で見て障害が分かりにくいところがありますので、なかなかデフリンピックに対する理解が広まらない大きな要因なのではないかと思います。今は、AIなどいろいろな技術も発展していますし、そのような技術を上手に活用すれば、きこえないことへの理解も一層と進むのではないかと期待しているところです。今までに、きこえないがゆえに、スポーツをやる時にどういう面で難しいのかというような解説を見たことがありません。例えば、ジャンプスキーや最近ではハンマー投げの湯野上選手のような、日本の一般の大会で優勝しているきこえない選手がいます。そういう人たちが競技をやるときに何で一番苦労しているのかもっとわかるような解説があれば、ろう者のスポーツに対する理解も一層と進むのではないかと思っています。現時点においては、技術面において説明できる人はいると思いますが、音がきこえないという状況で、例えば技術をどういう風に磨いてきたかとか、タイミングの取り方をどう考えてるか、きこえないことでプレッシャーみたいのはないのかというようなことを解説できる人はいないのではないかと思います。

ですので、今後若い世代、特にろうの人に期待したいです。そういうような研究をもっと進めてほしいと思います。例えば、国際大会において、昔は光でスタートする技術はありませんでしたが、現在はほとんどありますし、それだけでも違うと思います。体育専門の大学に進むろうの人も増えてきていますし、いろいろと書いたり発表したりしてくれると良いと思っています。

 

Q.現在のご活動についてお聞かせください。

大学を定年で辞めたのが2015年、4年後の2019年には茨城で第19回全国障害者スポーツ大会「いきいき茨城ゆめ国体」が開催されることになり、私は陸上競技の特殊な種目の審判担当の責任者ということで陸上協会と一緒に準備を進めるなどいろいろなことをやってきました。県内の小学校や中学校、特別支援学校などを回り、体験授業みたいなことをやったり、障害者スポーツの体験教室を一般向けにやってきたりしてきました。しかし残念なことに、台風接近により中止になってしまいました。ボランティアを含む大会関係者が大人だけであれば、例えば規模を縮小したり、形を変えてやったりできなくもなかったのですが、ボランティアのほとんどが高校生でした。危険を冒したり無理したりしてまで高校生を集めるのはどうかという議論になり、結局それは無理だろう、そうするとボランティアがいないと大会を開催することはできないということになり、それが中止になった大きな原因です。議論している間にも、陸上競技以外のなんとか競技は中止になった、こっちでも中止になったと、3分の2ぐらいの競技が中止になると大会全体が中止になるというルールがありますので、結局「いきいき茨城ゆめ国体」そのものが中止となってしまいました。大会を契機としたレガシーも残らなくなってしまったので、本当に残念だったなと思います。

自分もだんだんと年を取り、家内も亡くなったりして、今は一人暮らしをしていますが、以前からずっとボランティア的なことをたくさんやってきたので、そういったご縁を活かして自分の地元で何かやろうと、今いろいろと取り組み始めているところです。障害者スポーツという、今はパラスポーツという言い方になっていますが、地元の高齢者と一緒にボッチャなど、簡単な遊びでも良いので、楽しみながらそういうのができたらいいなと思っています。障害を持つということは遠くに行くということが難しくなります。自分が住んでいるところの近く、例えば小学校や公民館のようなところで簡単にできるスポーツ遊びでコミュニケーションをとって一緒に楽しく暮らせたらいいなと思っているところです。

障害者スポーツ、パラスポーツの発展のためにも、障害者スポーツセンターという施設があるというのは非常に大きな力になると思います。関東のほとんどの県では、名前は違うもののそういう障害者スポーツセンターみたいな施設があるのですが、茨城にはありません。東京は2021年にパラリンピックを開催しましたが、それを契機としたレガシーでいろんな新しい取り組みをやっています。茨城でも何かできないかなといろいろと考えているところです。

 

Q.在学生、卒業生、受験生へのメッセージをお願いします。

今でも時々卒業生から連絡をもらうことがありますが、社会で頑張ってる様子とかを聞くと嬉しく思います。メッセージというほどではありませんが、趣味でもどんなことでもよいので、このことならもう誰にも負けないというものを何か一つ持つことが大事だと思います。「小林洋子先生に聞けばもうわかる」みたいになると、いろんな人から声がかかると思いますね。あと、何か一つ好きなことや得意なことを持っていると、年取った後も役に立つと思います。

次に、特に卒業生に伝えたいことですが、毎日少しでよいので体を動かす習慣を身につけてほしいと思います。自分もだんだんと年取ってきましたが、40代や50代あたりになると体力も落ちてきますし、やはり運動は大事だなと思うようになります。自分は毎朝5時あたりに起きて近くの公園まで行き、15分ぐらいはストレッチをして、次に軽い筋力トレーニングや腕立て、懸垂、スクワット、そして最後にラジオ体操第1第2交代で合わせて30分間やっています。一人暮らししているので、手伝ったり助けたりしてくれる人がいないということもありますので75とか80歳ぐらいまで自分でできるようにと思ってやっています。毎日少しずつやっていることが5年後とか10年後に出てくるのです。ぜひ皆さんも1日5分でも10分でもいいので、歩くなり体を動かして欲しいと思います。

これからこの技大を受けようと考えている方へのメッセージですが、先ほどお伝えしたのと同様になりますが、入って自分で何か得意なもの一つでも良いので探して欲しいと思います。また、後で後悔することがないように、夢に向かって自分で選択して決められるようになって欲しいと思います。ほとんどの人が人生で後悔することが2つあるそうで、まず一つ目が自分で選択できずに周りから言われる通りやってきたこと、そして二つ目が時間を無駄に使ってきたことだそうです。そういった後悔がないようにやってほしいと思います。きこえないということは、ハンデにはならないと思います。

本学の創設当初から苦楽を共にされてきた及川力名誉教授(左)と石原保志現学長(右)


取材、取材記事・動画撮影編集:小林洋子

取材撮影:安啓一

動画撮影機材協力:T-TAC事務局

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