2021年8月24日に行われた東京2020パラリンピックの開会式。その中で、「まるで歌を歌っているかような表現力豊かな手話を翼にして飛ぶ、おしゃべりが大好きな飛行機」役で出演した鹿子澤 拳さんが印象に残っている方も多いと思います。実は鹿子澤さんは本学産業技術学部の卒業生です。この度、お時間をいただいて在学時代のお話や在学生へのメッセージなどを伺うことができました!ぜひご覧ください。
技大を選んだ理由と学生時代の思い出
——学生時代に、本学に入学したのはホームページ制作やパワーポイントでのクイズ作成などパソコン関係のことが好きだったからと伺いました(参考:本学HP「学生座談会」)が、高校生のときの進路選択はどのように行ったのでしょうか?
高校生時代に自分が将来就きたい仕事として、実はもうひとつ「教職(学校の先生)」を考えていました。理由として、自分は小学生の頃から子供や歳下の子達と関わることがとても好きでして、地域の子や母校ではよく遊び相手をしていたことを今でも覚えています。学校の先生は自分にとって「天職」なのでは?と思っていたほど、時間があればよく関わっていたほどなんです。
ですが、すでに先生になっている先輩方、あるいは先生に話を聞くと「とても大変」「もちろん楽しいこともあるけど大変な方が勝る」などと言った話をよく聞きました。子供が好きな自分でも、もしかしたらいつかはそれを遥かに超えるしんどさにぶち当たるのだろうか、そのしんどさゆえにいつしか好きだったことも苦になっていたらどうしようか…と言った考えも頭をよぎったんですね。
一方で、私はホームページ制作やPPT作成などパソコンでの作業も大の得意でした。父親がパソコンオタクということもあり、私が幼い頃からパソコンに触れられる環境が家庭にあったため、小学校高学年には自身のホームページを持っていましたし、学生時代はパソコンで作業をしていて気づけば朝を迎えていたなんてこともよくあったほどでした。「子供と関わること」「パソコンでの作業」それぞれ自分の好き・得意なことを天秤にかけ、時間を忘れるほどのめり込める後者が自分にとって、仕事によりプラスに活かせるのではないかなと思い、しっかりとした情報保障のもとで専門のことを学べる筑波技術大学を選択しました。
——在学時代のお話をお聞かせください。どんな学生生活でしたか? 特に印象に残っているエピソードなどがあれば、具体的に教えてください。
在学時代は、大学での講義はもちろん自分はいろんなサークルに所属(ダンス、バレー、フットサル)していたため、また大学の前にあるセブンイレブンでアルバイトもしていたので、本当に1週間があっという間だったんです。今思えば若いからこそこなせるスケジュールだったなぁと…。
当時誰もしたことがないようなアルバイトをしてみたいという、変な野望が私にはありまして。私の記憶の限りでは周りに「コンビニ」のバイトをしている人がいなかったんですね。せっかく目の前にセブンイレブンがあるんだし、「もしここに受かったら、技大生が来たときにレジで手話でのやりとりができるじゃん(笑)」とそんなことを考えているような学生でした。
オーナーさんをはじめとし従業員の皆さんもとても理解のある方で色々なこと(仕事内容のみならず、学生時代にこれやっといた方がいいぞなど人生のアドバイスなど)を教えてくださいましたし、何より自分の入っていた深夜の時間帯は、夜更かしあるいは眠れない在学生がふらっとセブンに来ることがよくあり、仕事をある程度終え、お客さんもあんまこない時間帯だったからこそ、ちょこっとお喋りができたといいますか…本当に退屈することなく働くことができました。
今も目の前のセブンでアルバイトをしている在学生がいるかは分かりませんが、自分が働き始めた以降、同期や後輩に同じコンビニでバイトを始める人が続出したんですね。別にそれが狙いだったわけではないのですが、自分がきっかけを作ったんだなぁ、アルバイトにチャレンジできる場所を開拓できた(増やせた)んだなぁと思うと、とても嬉しかったです。
ダンサーを目指したきっかけと憧れの存在
——卒業後の進路としてダンサーになろうと思った時期・理由などを教えてください。
大学3年生の秋〜冬頃に所属していたダンスサークルにて、近畿大学の舞踏学科の学生さんと舞台を共作する機会がありました。またこの時期は私自身が自分は何者なのかと、「自分のアイデンティティー」に悩んでいる時期でもありまして、ダンスを創作していくにあたって色々な思いが込み上がってきたといいますか、ぐちゃぐちゃな気持ちをそのまま表現した作品があったんです。それを見ていた向こうの舞踏学科の教授さんがすごく感銘を受けてくださったようで、「表現者の道に進むべき」とのお言葉をいただいたことがきっかけでした。
——そもそもダンスとの出会いは? あこがれのダンサーは?
ダンスの出会いは、小学校1年生の頃にテレビで踊っていたモーニング娘。の振り付けを真似したことがきっかけでした。学校の給食の時間に校内放送でモーニング娘。の曲が流れてきた際にみんなの前で踊り、盛大な拍手をもらったことが私のダンサー人生のスタートだったかなぁと思います。
憧れのダンサーさんがたくさんいて、とても選びきれないのですが、高校生当時L.Aにまで行って会いたい、レッスンを受けたいと思っていたダンサーが「仲宗根梨乃」さんです。当時K-POPがかなり流行っていて、その振付師として大活躍されていたスーパーダンサーさんです。何かの番組でおっしゃっていた、「技術は確かに必要、必要なんだけど、それ以上に自分が伝えたい「パッション」「情熱」が大事。」という言葉を今でも胸に刻んでいます。
パラリンピック出演を通して感じたこと
——パラリンピック開会式・閉会式に出演することとなった経緯は?
自身がこれまでに様々な舞台に立ってきて、そこで大変お世話になったプロデューサーさんより「オリパラのオーディションが始まるらしい、ぜひ受けてみたら?」と声をかけてくださったことがきっかけです。
——出演してみていかがでしたか?
ご存知のとおり、オリンピックパラリンピックは世界的な大規模のイベントということもあり、本当に非常にたくさんの関係者、出演者がいました。また新型コロナウイルスが流行していたこともあって、様々な制約がありながらも徹底した感染対策・スケジュールのもとでの稽古の日々でした。そのため率直な感想として「ひとまず無事に大成功で終えられたことが何より嬉しい」という気持ちが大きいです。
そして、出演者には本当に多種多様の方々がいて、はじめは本当にぎこちない空気感と言いますか、「同じステージに立つ人」という認識から、練習を重ねていくにつれお互いがみんなのことを知りたいという気持ちが段々と大きくなり始め、あらゆるコミュニケーション方法を通して交流の輪が広がっていく現場の空気感はとても居心地の良いものでした。
また、日本中のトップレベルの表現者・ダンサーさんが集まっているということもあり、稽古時間のふとした時間にひょいっとやっているダンスやパフォーマンスがかなりの高レベルな技術だったりと、「きゃ〜〜負けてらんねぇ〜〜!」と、自分にとってもよい刺激を受けることができました。ここで出会った方々との交流・絆はいま現在も続いていますし、今後一生の宝ともいえるほど、このパラリンピック出演は自分にとって、とても大事な機会となりました。
これからの目標と技大の後輩に向けて
——これからの目標などがありましたらお願いします。
一表現者・ダンサーとして今後も様々な舞台に立ち続ける、挑戦していくことはもちろんなのですが、様々な人たちに「聴覚障害」「難聴」「ろう者」「聞こえない(にくい)人」についてのことを発信していきたいと考えています。自分はこのうちのどれなのか、または何者なのかと未だにはっきりとした答えは出せていないのですが、「ありのままの自分でいい」というスタイルで今を生きています。
これからの未来を生きる若い子たちのなかに、同じように悩んでいる子たちがいるかもしれません。その子たちの背中をそっと押してあげられるようなそんな存在になれるよう、今後も様々なことに挑戦しつつより自分自身の視野や価値観を拡げていきたいと思っています。
漠然とはしていますが大きな野望といいますか、目標としては「障害」という概念を変えられたらなぁと思っています。
——最後に、ご自分の経験を踏まえて、本学の在学生へメッセージをお願いします!
今の私があるのは、在学時代に本当にたくさんのことを経験してきたからこそのものだと思っています。それは本当になんでもいいです。新たな人たちとの出会い、イベントの運営をしてみる、アルバイトの経験、他大学との交流に参加してみる、コロナが落ち着いたら旅行に行ってみるなどなど。実はそこでの何気ない経験だったり出会いだったりが、自分の人生を大きく変えてくれる何かとつながるかもしれません。
大学生の皆さんはこれまでの学生時代とは違って自分自身でスケジュールを組み立てることができる自由さがあると思います。たくさんある時間をどう使うかはそれぞれ個人の自由ですが、今一度自分は何をしたいのか考えてみてください。自分が今後したいことをずらーっとメモに書き綴ってみるのもいいと思います。そこから逆算することで今自分は何をしたらいいのか明確になることもあると思います。
みなさんの大学生活での経験がより有意義なものとなるよう、そして社会に出たあと後悔することのないよう、思う存分「自由さ」を謳歌して欲しいと思っています。