天久保キャンパス学園祭(天龍祭)復活の舞台裏(後編)
在学生  

天久保キャンパス学園祭(天龍祭)復活の舞台裏(後編)

6年ぶりに復活し、盛況となった本学の学園祭「天龍祭」。その舞台裏で、実行委員長として皆をまとめ、開催へこぎ着け、成功へ導いた吉岡友寛さんにインタビューを行いました。

※上写真はタピオカやたませんを販売する模擬店「HAPPY FOODS」

Q.学園祭を開催することが決まり、企画の募集や、本部としての特別な企画などについて教えていただけますか?

過去の学園祭では、サークルごとの企画が主でした。ですが、サークルは人数が多いので、積極性にばらつきがあります。そこで、サークルでもOK、個人でグループを作ってもOKとしました。その結果20の企画が集まりました。少人数の大学ですので予想を超えて集まってもらえました。内訳としては、友人同士や寄宿舎の繋がり、同じクラスなどによる企画でした。

また、せっかく応募があっても、当日になって何らかの原因で「本日中止になりました」と企画が倒れる場合があります。それを避けたいと思っていましたので、飲食関係は5人以上、販売、展示は3人以上という最低限のメンバー数を決めることで、誰かがカバーできるようにしました。こうした体制づくりもあり、今年企画まるごと潰れたものはありませんでした。

本部が主導する目玉企画については、参加者の皆様に驚いてもらいたい、それを見るために来てもらいたいと考えて企画しました。当初は、「映画上映」(聴覚障害者が作った映画:「虹色の朝が来るまで」、「田中家」)、「バルーンリリース」、「花火」の3つを考えました。この内、映画は上映にかかる料金の都合、バルーンリリースは企業の選定の都合で難しくなり、最終的に「風船ギターライブ」と「花火」を実施することになりました。花火については、資料を見たら8年前に花火を実施していましたので、頑張れば実現できるのではと思っていましたが、思いのほか条件が厳しく、引き受けていただける業者が中々見つかりませんでした。ですが、最終的に快く打ち上げを請け負ってくださった会社(山﨑煙火製造所さん)にはこの場を借りて大変なご厚意に感謝申し上げます。難しい状況にもかかわらずお引き受けいただいただけでなく、花火の数や大きさまでご高配いただきました。

いずれの企画にしても、学園祭を運営していくに当たり、お金が集まるほど、責任が重くなっていきました。

学園祭の最後に打ち上げられた夜空を彩る大きな花火

 

●学園祭を学生一人ひとりが運営するために

今年の学園祭の組織は本部(中心メンバー)、企画部(コンテンツ、現場)、装飾部(アーチ、ステージ、体育館、大学全体インテリア)、広告部(宣伝部、デザイン)となっています。

全体で50名ほどですので、過去の学園祭と比べると1/3の人数ですが、大きな組織です。学園祭という大きな目標に向けてまとめるには、各部門にはリーダーが必要ですが、彼らが独り立ちしてメンバーを引っ張るまで、本部がサポートする体制をつくりました。

 

各部門の実行メンバーには、「自分からやらなきゃ」と思ってもらいたいと考えていました。そこで、月に一度会議室に集まって進捗を発表することにしました。発表することで状況が共有でき、他の部門の進み具合に刺激を受けて積極的に動くことが狙いです。

また、話し合う場を設けることが大事だと思いました。たとえば、装飾部門は必要な道具を他の部門に貸し借りしますし、デザインとコンテンツでは進捗や企画のイメージを合わせたいということもあります。現場は部門全体ですべての部品の数がいくつ必要か把握したいと思います。このように各部門は互いに繋がっているところがあります。ですので、組織の間でのやり取りのためには、発表の機会を設けるのは必要でした。学園祭が近づき細かな連絡が必要なときには月に2回行いました。

加えて本部はそれとは別に週1で2時間打ち合わせしていました。やはり顔を合わせてその場で話すのが大事だと考えていました。その日に話したことをまとめるために、書記が2人(そのうち1人は途中からの追加メンバー)いましたが、時間が限られていましたのでこの体制は良かったと思います。

模擬店を出展するメインの広場の設営

Q.とても素敵なポスターを作られていますね。インスタグラム等での動画も含めて、告知や宣伝で力を入れた点など教えていただけますか?

ポスターやチラシは「カラフル」というテーマに合わせて、総合デザイン学科の4年生の2人、佐藤君と藤巻さんによるイラストをメインにして、デザイン部門でWebサイトと合わせてデザインしています。

ポスターはオープンキャンパスなどの人が集まるイベントでも掲載したほか、近隣のお宅の方にも学園祭に来てほしいと思いましたので、花火などの交通規制やお知らせをする際に、宣伝も兼ねてチラシも一緒に合計1000枚ポスティングしました。

そして、より多くのろうの人の目にとまるために、東京の「Sign with Me」など、聴覚障害者が経営する飲食店7店舗に連絡し、チラシやポスター掲出のお願いを郵送しました。そうすると、「直接話したい。それを動画に撮ってもいい」と仰っていただけました。それがインフルエンサーの方の目に止まったのも大きかったと思います。そこから人の目に触れてフォロワー数を増やすことができ、宣伝に繋がりました。

私は宣伝では相乗効果の連鎖が止まらないような状態を作りたいと考えていました。

SNSでは、インスタグラムを6月頭に部門の紹介から始めています。SNSは顔出しが必要ですが、動画に出たいという人が少ないことに加えて、学園祭の内容や考え方が外に伝わらないといけないと思いましたので、本部がまず動画を作り、それを編集して投稿するというかたちになりました。8月の時点でこの動きができたのが良かったと思います。また、学園祭はハロウィンに近い時期ですので、コスプレOKにすることでマスコットと似た効果を上げつつ、SNSなどでの話題になると期待しました。

 

Q.いよいよ開催となる前日、そして当日の様子について教えていただけますか?

●前日 21日

前日は、開催に向けた準備と前夜祭を行いました。前日と当日の2日間、大学全体を8時から21時の間使うことにして、細かく時間を決めました。それでも時間は足りないだろうと思いましたので、前々日の金曜日にテントを運び出して、土曜日の朝はテントを起こすだけにするよう工夫したことで、上手くいったと思います。

また、大学の中で有志による各企画のPRの機会を作ったところ、13の企画がPRしてくれました。それぞれ企画内容を当人が解説してくれたので、どのような企画なのか、何を売っているかなど、とてもわかりやすかったと思います。それが終わってから、企画や販売が始まりましたので、お客さんもスムーズに購入や参加ができたようでした。

一番心臓に悪かったトラブルは、急に音響が出なくなったことです。その時、色々な人が動いてくれて、詳しい人にたどり着いて、最終的にはケーブルが断線していたことが分かりました。原因が特定できたのでケーブルを取り替えたら音が出ました。今年は復活したダンスサークルのクオリティがすごく高くて、音響も大事でしたので直って安心しました。

ダンスサークルのパフォーマンス

●当日 22日

今年は絶対に来場者数を数えたいと考えていました。過去の記録で450人が集まったというのが参考になりましたので、今年の活動に対する結果として残すことが必要だと思いました。

事前に、学生にも参加のアンケートを取って、何人来るか概算をしたときには、およそ200人以上来場するとわかりました。それでも、時間帯によってまばらになる不安がありました。当日は10時開始でしたが9時半には入口のアーチ前に15人前程度待っていました。

結果は、時間帯によってまばらなこともなく、どの企画も常に人がいっぱいでした。食堂を休憩所にしたのも良かったです。最終的に、学生や卒業生や先生や一般の方を含め、総来場者数は650人に上りました。

また、子連れの方が多く見られたのは意外でした。ポスター、チラシが可愛いイメージでしたので、見に来てくださったのかもしれません。大学にかかわりのある人以外に、健聴の人も含めて来場者の方の反応が予想以上に良かったのが嬉しかったです。外国の方や他大学の学生の方も来ていただけました。この学園祭のテーマとして「聴覚障害者も健聴者もつなぐ架け橋」というものがありましたので、それが叶ったと思いました。

 

Q.学園祭当日の本部のメンバーや吉岡さんの動きについて教えていただけますか?

本部のメンバーは受付と、空いている時間には見回りをしていましたが、当日はバタバタでした。各企画に人数制限を設けず、希望者を全員入れたところもありますし、全体を通して大変なことが多かったと思いますが、本部のメンバーは面倒がらずに皆笑顔で楽しそうに動いていました。「自分の判断は良かったのかな?」と思うことはありますが、それを信じてついてきてくれたことに感謝したいです。

私は受付に加えて模擬店も2店、ダンス2つ、パリコレ、に自分も参加したので、その時間は他のことができませんでした。一番忙しかったのは、受付(2人体制)で、想像以上にお客さんがいたので、2人体制で回すのがぎりぎりでした。しかも、来場者数を数えたい思いから、遠くに見えた来場者(自転車)を追いかけてしまい、また戻ってきて、歩いている方を案内したということもありました。

本部のメンバーが学園祭に参加する時間はもっと作りたかったと思います。反省点としては、私もずっと走りまわっていましたので、私と話したいと言ってくれる人と話せなかったことです。せっかく「一緒に写真撮りたい」とか「ファンです」と言ってくださった人にはとても申し訳ないなと思っています。

分刻みの結構激しいスケジュールをこなしていましたので、次の日歩けませんでした…

モデルランウェイに登場した学生たちの集合写真

本部のメンバーとしてだけでなく、一学生としても活発に参加されていたのですね。
本当にお疲れ様でした。


Q.さいごに、学園祭を振り返って思うことや高校生や後輩へのメッセージがあればお聞かせいただけますか?

私達4年生は入学時からコロナ禍に交流を奪われ、先輩や後輩とのつながりもない学年でした。また、入学後もつながりが作りにくかったことが悲しく、私以外にも交流の機会を求めている人はたくさんいました。今年の学園祭では部門のメンバーが作業をするときはそれぞれがまとまっていて、1〜4年生までが学年を超えて交流できているのを見て感動しました。いつまでも交流のない時代にしておくのではなく、私は学園祭を転機にしたかった。これはサークル活動など他の活動もそうだと思います。

 

私に会いに来てくれた人の中には高校生の方もいました。私は高3の11月に本学に入りたいと思いましたので、当時は大学生のイメージが全くできませんでした。大学は高校の延長だと思っていましたが、いざ入ってみるとぜんぜん違って、人との関わりが一気に増えて交流が深くなる事がわかりました。

高校生は行動に制限や縛りがありますが、大学生はすべて自分で開拓していく必要があります。行動に責任がともなうことは大変ですが喜びでもあり、それが大学生ならではの良さだと思います。私は学園祭にそのような視点で取り組みましたので、来てくれた高校生にも大学生のイメージが伝っていたら嬉しいです。

大掛かりな企画や、時間や人数の関係で高校では難しいことも、大学では仲間を集めて一緒に取り組むことができますし、200人集まっているからできることがあります。しかも、筑波技術大学では皆が手話や筆談や、チャットなどを使って話せますので、ここでしかできない表現の仕方があるかもしれません。自分の力をフルに発揮できることを知ってほしいです。

閉会式で、実行委員の仲間たちとスピーチをする吉岡さん

これまでお話してきたように、私達は前例がないまま模索しながらの準備が必要で、私は全力を発揮しましたが、一方で来年以降の学園祭に対しては、自分の時間を大切にできる学園祭にしてほしいと考えています。

学園祭直前の10月の忙しさを思えば、6月に一番時間があったと思いますので、早い時期からバランスよく進められるような引き継ぎをしたいなと考えています。

来年は学園祭がどのようになるかは分かりませんが、まずは続けて開催されることを期待しています。来年に向けてすでに燃えている人がいるとも聞きました。ですが、今年の形にとらわれないで自由に作って欲しいと思います。私は学園祭の見栄えを良くしたくて、実行委員に入ったからには「とにかく飾りを華やかにしたい!」と常に考えて学園祭を進めていましたので。

 

さいごに、学園祭を頑張れたことにつながる少し個人的な話をします。私は高校生の時、手話パフォーマンス甲子園への参加や、高校生新聞への寄稿、タイピング検定、漢検、家庭科技術検定などに積極的に取り組みました。特に家庭科技術検定は、和服、洋服、保育、食物の1級を持つと四冠王に認定されるのですが、愛媛で初めて認定されるほどに頑張りました。しかも、これらの活動はすべて高3に詰め込んでいました。

その後、コロナになり、大学に入学してからは「私これを頑張っている!」ということがありませんでした。高3のときの取り組みも、過去の栄光のように思えて周りに言えませんでした。「頑張った高3のときの自分がタイムスリップしてきて、大学生の自分を見たらどう思うだろう?」という漠然とした不安がありました。そう思うと、過去の自分に「ごめんね」という気持ちで一杯でした。ですが、今回の学園祭で、過去の自分を越えるレベルアップができたと思えて、自分の中で自信を持つことができました。大学の3年間が積み重なって、それが今年結実したのが嬉しかったです。

「祭」の手話をする吉岡さん

インタビューを通して、何かを成し遂げることに対し真摯に向き合うお人柄がとても伝わってきました、自身のスキルを磨くことから、皆で大きな目標を成し遂げる方向に進んだのは一つ次元が変わったような転換ですね。今回のインタビューを通して、学園祭の復活の経緯や裏側だけでなく、学園祭に対する人一倍強い思いと行動力を持った吉岡さんが、人とのつながりのなかで大きな一歩を踏み出し、全力で目標に向かっていく様子と、その原動力となったものが垣間見えました。この度はたくさんのお話が聞けてよかったです。どうもありがとうございました。