技大には、海外から学びに来ている学生もたくさんいます。キルギス出身のサマットさんは、筑波大学附属視覚特別支援学校鍼灸手技療法科を卒業後、さらに臨床の知識や技術を高めたいと思い、編入制度を利用して技大で学び始めました。医療センターや実習授業を通して研鑽を積むと同時に、サークル活動や他学の留学生との交流も積極的に行い楽しい毎日を送っています。サマットさんはなぜ技大を選んだのか? そして技大で学んだことをどのように活かしていくのか? 生活の様子も含めてお話を伺いました。
サマットさんのMy Historyと鍼灸あん摩マッサージ指圧の道を志したきっかけを教えてください。
私は高校生の頃に急に視力が低下したため、盲学校に転校し様々な訓練を受け始めました。しかし、盲学校の卒業時には、まだ一人で歩いたり点字を読むこともできず、自立した生活を送るには程遠い状態でした。そこで、キルギス国立医科大学附属の医療カレッジ(KSMA)に入学し、生活訓練を受けながら視覚障害者向けに開設されているマッサージ専攻で職業訓練を受けることにしました。
授業で解剖学や生理学を学ぶうちに医療への興味が高まり、もっと深く学びたいという思いが強くなりました。しかし、学校には十分な数の解剖模型や資料がなく、視覚に障害を持つ私が医学の理解を深めるには難しい環境でした。
そんな時、筑波技術大学の大学院に進学し、一時帰国していたジョロベカワ・シリンさんとの出会いがありました。彼女はマッサージ専攻の先輩でもあります。シリンさんから日本の学校や生活についての話を聞き興味を持った私は、彼女から日本語と日本の点字を学び始めました。昼はマッサージの授業、放課後は日本語の勉強という日々を送りました。私を含め3人の学生が一緒に勉強を始めましたが、最後まで残ったのは私だけでした。日本は、子供のころからアニメやテレビ番組で親しんできた国でしたが、シリンさんとのかかわりの中で、ますます日本で勉強したいという気持ちが高まっていき、留学を決めました。2019年に無事マッサージ学校を卒業した後もコツコツと日本語の勉強を続け、2020年12月に国際視覚障害者援護協会(IAVI)を通じて念願の来日を果たしました。そして、2021年1月に筑波大学附属視覚特別支援学校鍼灸手技療法科を受験し無事合格したのです。
来日後は筑波大学附属視覚特別支援学校鍼灸手技療法科に行き、はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の免許を取られましたが、苦労した点や印象に残るエピソードを聞かせて頂けますか?
大変な事も沢山ありましたが、友人にも恵まれ良い経験ができました。来日当初はあまり日本語が得意ではありませんでした。しかし、同級生たちは皆早口で、その上聞いた事もない言葉を話します。彼らが口にする「めちゃくちゃ」が何を意味しているのか、当時の私には皆目見当もつきませんでした。またある日、青森出身の同級生は「しゃっこい(冷やっこい)」と言いました。後になって、「めちゃくちゃ」は「とても」、「しゃっこい」は「冷たい」と同じ意味だと知りました。また同級生たちはキルギスとイギリスを勘違いし、皆は私から英語が習えると喜んだそうです。今では楽しい思い出の1つになっています。他には、日本に来た当初は体重が98キロありましたが、野菜や魚中心の食事、白ご飯、そして毎日の活動により、半年後には78キロになりました。自分でも体重を落としたいと思っていたタイミングでしたので丁度よかったです。
キルギスではパンが中心ですがチャーハンの様な味付けをしたお米料理も一般的です。お米には慣れていましたが、味付けをしていないご飯には慣れていなかったので、食事量が自然と少なめになったのもよかったのかもしれません。毎食しっかり食べていたので、お腹がすいたり体調が悪くなるようなことは一切ありませんでした。
苦労した点は、入学した時期はちょうどCOVID-19の流行が深刻で、入浴時間が決まっていたり、外出は30分以内に帰ってこれる範囲と行動制限が多く、この様な経験は初めてでしたので苦労しました。また、母国に3年間帰れなかったことも辛かったです。基本的な医学知識はキルギスで習得していたこともあり、学校生活は順調でした。とは言え、免許取得を第一の目標として、とにかく勉強に集中して日々を過ごすことに注力しました。努力が実り無事に免許を取得することができ本当に良かったです。

キルギスにいらした時から技大のことはご存じだったかと思いますが、どんなことを期待して技大への進学を決めましたか?また技大での生活はいかがですか?
キルギスでも鍼灸は行われているのですが、学べるのも行えるのも医師のみで、日本のはり師きゅう師免許に相当する資格もありません。キルギスの医療制度は、旧ソ連のものを引き継いでいて、公立の医療機関があり、医療費は無料です。医師は、マッサージが必要な人にはマッサージを、はりやきゅうが必要な人には鍼灸を、薬や手術が必要な人には薬や手術を、リハビリが必要な人にはリハビリを処方します。そして、病院内の各部署でその専門家が施術などを行います。このような現状を考えると、ただ単に日本の免許を取っただけではキルギスで鍼灸を行う事は難しいと思っています。だからこそ、留学経験を活かした活動の可能性を広げるために、深い知識と高等教育を受けた証としての学位を得たいと思い、技大への進学を決めました。免許は既に取得済みだったので、編入制度を使って3年次に入学しました。私の希望は、より高く深い臨床の知識と技術を身に付ける事でしたので、医療センターや臨床系の実習を中心にカリキュラムを組んでもらい日々勉強を続けています。
2025年には茨城県の「留学生大使」に任命されました。小中学校を訪問してキルギスの文化を紹介する活動をする予定です。筑波大学附属視覚特別支援学校鍼灸手技療法科時代にも元JICA隊員の方と一緒に、同様の活動を行っていました。都内の小学校での子どもたちとの交流はとても楽しいものでした。ある日、盲学校の近くの交差点で手引きしましょうか?と声をかけて下さった方が以前おとずれた小学校の生徒さんのお母さんだったことがあり、お互いにびっくりしたことがありました。一緒にやったゲームの事やその時覚えて貰ったキルギス語について、お家で話してくれていたようです。私はそれを聞いて、小さなきっかけでも波紋のように広く広がっていくのだと、キルギスがより親密な存在になってくれているのだと、とても感動しました。私は、キルギスと日本の架け橋になりたいと強く思っています。

技大の友人だけでなく、筑波大学の留学生や、東京に住む友人とも食事に行くことがあります。技大の近くにバス停があり、東京へはとても移動がしやすいところも気に入っています。
将来の夢を聞かせて下さい。
将来は、キルギスに帰国してマッサージ治療院を開業し、視覚障害者のマッサージ師を雇って日本の技術を伝えたいと考えています。また、マッサージ学校で鍼灸が教えられるように働きかけ、視覚障害者も鍼灸を学べる環境を作りたいと思っています。
現在キルギスでは医師のみが鍼灸を行えますが、視覚障害者の鍼灸師が活躍できるよう、制度や教育環境を変えていきたいです。そのために必要であれば、再び日本に戻って大学院に進学することも視野に入れています。また、思い入れのある日本と母国キルギスとの懸け橋になれるようどんなチャンスも活かしていきたいと思っています。

