障害者のための高度な「教育」と「支援」を、広く社会へ
対談  

障害者のための高度な「教育」と「支援」を、広く社会へ

2019年4月、第4代学長に就任した石原保志学長。筑波技術大学の前身である筑波技術短期大学時代から長年にわたり教員として教育・研究に携わり、2010年から特命学長補佐、2013年から副学長として大学の運営にも関わってきました。学長就任から3年目を迎えるにあたり、筑波技術大学の魅力や社会的役割、コロナ禍への対応と学生への思い、さらにご自身の幼少期や学生時代の思い出なども含め、ざっくばらんに語っていただきました。

社会に向けた新たな取り組みをスタートし、半年後には新型コロナ対応に奔走

——学長に就任されて丸2年が経ちました。どのような2年間でしたか?

新型コロナの対応に追われたことが、まず頭に浮かびます。一言でいえば、新型コロナに翻弄された2年間でした。

柴山元文部科学大臣の視察
柴山元文部科学大臣の視察

改めて振り返りますと、就任してすぐトップセールスに着手しました。これは「筑波技術大学は、我が国で唯一の聴覚障害者と視覚障害者のための高等教育機関である」ということを多方面に出向いて説明し、本学の認知度を高めるための取り組みです。聴覚障害者と視覚障害者の教育・支援を広く社会に行き渡らせることが本学の社会的役割であり、一般の学校に通う聴覚障害者と視覚障害者、その関係者にも存在を知ってもらう必要があります。2019年6月27日に柴山文部科学大臣(当時)が本学を視察されたのは、トップセールスの成果の一つと言えるでしょう。

もう一つ、新たに社会人障害者を対象としたリカレント講座を開始しました。いま多くの聴覚障害者、視覚障害者が社会で活躍しており、「より専門的な知識や技術を身につけたい」というニーズが高まっています。卒業生対象の講座は約20年前から実施してきましたが、それを大学の事業として位置付け、担当教員の努力のもと組織的にリカレント教育を行う体制を構築しました。

しかし、こうした取り組みを始めて半年後にはコロナ禍に突入し、2019年度の卒業式(学位授与式)も、2020年度の入学式もできない状況となってしまいました。ただ、その中で本学はオンライン授業を実施しており、特徴的なのは、教職員の工夫と努力によりオンデマンド型ではなく同時双方向型の授業がかなりの割合を占めたことです。遠隔ではあってもリアルタイムで授業を配信することは、授業を受けながらその場で議論や質問ができるという意味でも、また学生が生活リズムを作るという意味でもメリットがあります。

 

——新型コロナの影響で学生同士の触れ合いも制限されていますが、この状況をどう思っていますか?

学生には本当に申し訳ないと思っています。本学には学生宿舎があり、新型コロナ下でも学生の何割かは滞在しています。ですから厳密に言うと、オンライン授業が中心だけれども、対面授業もしてきました。もちろん大学生活は授業だけではありません。学生が交流しながら刺激し合ったり、多様な人々がいることを知ったりすることが非常に重要です。天久保キャンパスには聴覚障害の学生のコミュニティがあり、春日キャンパスには視覚障害の学生のコミュニティがある。同じ障害のあるコミュニティの中でも、考え方や障害特性、その他さまざまな面で多様性があることを学べます。新型コロナの影響でそういう自然な学びができなくなったことは、学生に対して非常に申し訳ないという気持ちです。

 

本学だからなし得る「教育的支援」と、学生数10人の少人数教育

——次に筑波技術大学の魅力について伺います。まず、障害学生支援のあり方が他大学とどう違うのか聞かせてください。

障害支援のノウハウを広く提供する

他大学では単に障害補償を意図した「支援」に留まっているのに対し、本学は障害に起因する発達的特性を踏まえた「教育的支援」を行っています。

例えば、聴覚に障害のある学生が他大学に入ると、学生から支援の要望があれば、ノートテイクという方法を取ります。ノートテイクとは、教員や他の学生の話し言葉を文字に書き起こしたり、パソコンに入力したりして、その文字を見ながら授業を履修する方法です。

一方、本学は情報を文字に変えるだけでなく、文字中心の授業をしたり、さらに手話も使いながら授業をしたりします。教員自身が学生に伝わるようなコミュニケーション手段を使うのは、本学ならではと言えます。視覚に障害のある学生に関して言えば、点字教材や拡大文字の資料を用意します。

また、本学の授業は個人内能力差にも対応しています。例えば「読むのは得意だけれども聞いて理解するのは苦手」「計算は得意だけども漢字は苦手」「覚えるのは得意だけれども数学の応用問題は苦手」など、さまざまな個人内能力差があります。そういう特徴を踏まえた上で、時間はかかっても学生が理解に到達できるようにする。つまり、学生の表面に見える障害だけでなく、その障害に起因する発達的特性に合わせた授業を展開しているわけです。

それを個人内能力差と表現しましたが、どの大学でも学生間の個人差はあります。本学の魅力は、個人差に対応するために少人数教育を行っている点です。基本的に授業の規模は学生数10人程度で、単純計算すると教員一人当たりの学生数が日本一少なくなります。学生数10人なら、一人ひとりの理解の程度を把握しながら授業を進めていくことができますし、著しく能力の低い学生あるいは高い学生に対しては、個別に能力を引き出すための補習をしたり、特別な指導をしたりしています。

 

キャリア教育と、就職率の高さが大きな魅力

——入学後、これほど少人数で手厚い授業を受けられることに驚く学生もいるのでは?

一般の高等学校から入学してきた学生はそう感じるようですね。しかし一方で、社会に出てからもこのような環境があるわけではありません。そのあたりに不安を感じる学生もいます。そこで重要なのがキャリア教育です。

例えば聴覚に障害があると、会社の会議で誰が何を話しているか分かりません。でも遠慮して自分からはなかなか言えず、聞こえていなくても分かったふりをしてしまう。そうではなく、「紙に書いて指示してほしい」「資料があれば出してほしい」など、周囲や上司と相談をする意欲を持つべきです。そういう相談や提案をするための技術を高める授業もしています。

 

——就職率の高さは筑波技術大学の大きな魅力ですが、なぜ実現できるのですか?

就職に関する支援・指導(副学長時代)
就職に関する支援・指導(副学長時代)

少人数教育のメリットを活かして、教員がきめ細かく就職活動の相談や支援に当たっています。また、企業向け大学説明会を毎年行い(2020年度はオンラインで実施)、企業と大学のパイプづくりに努めています。

そして何より、本学で一定の能力を身につけてから企業に送り出していることが、就職率の高さにつながっています。だからこそ企業は毎年、「また筑波技術大学の学生さんを採用したい」と言ってくださり、それを大学紹介という形で学生に紹介できるのが一番大きいと思います。

一方、「大学の紹介ではなく自分で就職先を探したい」という学生は、障害のない大学生と同じように就職活動をします。その場合は面接の受け方や採用試験で必要なスキルなど、個別相談や個別指導等を行い、きめ細かく支援しています。

 

社会人の入学も多い、特色ある大学院「情報アクセシビリティ専攻」

——大学を卒業後、大学院に進む道も開かれていますね。

本学の大学院は、技術科学研究科に3つの専攻を設置しています。学部の上にあるのが、聴覚障害の学生が進む産業技術学専攻と、視覚障害の学生が進む保健科学専攻です。

さらに学部を持たない大学院として2014年に情報アクセシビリティ専攻を開設し、ここでは障害者を支援するための「情報保障学」の研究を行っています。本学の個性が色濃く表れた専攻であり、社会人を含め学外から入ってくる学生が多く、健常者もいます。障害者を支援してきた方々や、これから支援しようという方々も入学されていますね。

 

——情報アクセシビリティ専攻の設置は、「こういう支援があると、聴覚障害や視覚障害のある人がより社会に適応しやすくなる」ということを多くの人が知る世の中にする上で、とても大きな一歩に思えます。

まさに、そういう役割を果たしていくことが本学の使命です。国立大学は再来年度から第4期中期目標期間に入りますが、「筑波技術大学は障害者のための大学である」ということと、「学生を育てると同時に、障害者のための社会の環境整備に貢献していく」ということを前面に出す考えです。障害者自身の能力を高めて、障害のある卒業生が社会の「ダイバーシティ」「インクルーシブ」「バリアフリー」などの環境をより良くしていく。本学の教員もそれぞれの専門分野で、社会環境を整備していくための研究をしています。

 

障害支援のノウハウを広く提供する

——石原学長が筑波技術大学の魅力として挙げている「横断的支援」と「縦断的支援」について教えてください。

社会に向けた新たな取り組みをスタートし、半年後には新型コロナ対応に奔走

横断的支援の背景として、いま多くの大学で障害のある学生が学んでいますが、障害者支援の具体的なノウハウを持っている大学はまだまだ少ないのが現状です。そこで、2つのプロジェクトを通して本学が持つノウハウを提供し、他大学にいる障害学生支援にも手を差し伸べています。一つは「日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)」で、2004年から活動しています。もう一つは、「障害者高等教育拠点」という文部科学省の認定を受けた事業です。

縦断的支援とは、上の方の年齢で言うと、冒頭でお話しした社会人障害者へのリカレント教育です。下の方の年齢については、大学に入る前の高大連携(高等学校と大学との連携)があります。本学の場合は高等学校に限らず、特別支援学校の高等部・中等部・小学部、その保護者や先生、あるいは一般の高校生を対象としたオープンキャンパスなど、大学に入る前の方々を対象にした学習啓発活動をしています。将来に希望を持ち、自分のキャリアプランを具体的に考えていただくのが目標です。

いま申し上げた横断的支援と縦断的支援を合わせると、かなりの数の方々が本学の学生が受けるような教育や支援の対象になります。筑波技術大学は、そういう役割を担う大学です。

 

建設的対話から、夢や希望がもてる社会に

——教員時代を含め今日までを振り返ると、障害者を取り巻く環境はかなり変化していますか?

ずいぶん変わりましたね。例えば、国連の『障害者権利条約』を批准するため国内の法制度を整備することになり、2013年に『障害者差別解消法』が制定され、2016年に施行されました。これは、障害者の学修や教育、就労、生活などの環境を変えていく上で大きな後ろ盾となります。

ただし、その法律を障害者自身がよく知り、活用するための知識と技術を持たなければなりません。「待っていれば何かしてくれる」という意識から脱却し、「私が働くためにはこういう配慮が必要です」と障害者自身が提案していくことが求められます。職場や学校で「提案そのものは実現できないけれど、別の形ならできますよ」という建設的対話が交わされ、それまで全く支援がなかったところに、100%満足できるものではないにせよ一定の支援が実現する。それによって現在、障害者が社会人として、納税者として、社会に貢献できる環境になりつつあります。問題は、それに障害者自身の意識や能力が追いついていくかどうかです。

 

——建設的対話が当たり前に交わされる社会になれば、学生にとって将来への夢や希望が広がりそうですね。

その通りです。夢というのは、幼稚園の子どもが語る夢と、高校生が語る夢と、就職活動している学生が語る夢とは違うと思いますけれども、どのレベルでもいいから夢と希望を持ってほしいですね。その夢が実現するかどうかは、教育の場でのさまざまな知識や体験がカギとなります。自分がやりたいことを何年かやってみて、さらにその道を突き進む人、あるいは方向転換する人、いろいろなパターンがあっていいし、障害の有無に関わらずトライしてみることに価値がある。若いうちしかできませんからね。

 

高校時代は水泳に熱中、紆余曲折を経て教員の道へ

——新型コロナの影響で、学生は石原学長と接する機会がなかなか持てません。そこで学長の人となりを伝えるため、ここからは少し個人的なお話を伺います。学長は千葉県出身ですが、どのような環境で育ったのですか?

家が江戸川の近くだったので、小学校の中学年までは毎日江戸川で魚捕りをしていました。魚を釣るのではなく、四手網(よつであみ)という網で捕るんです。当時の最大の獲物は鯉ですが、一番よく捕れたのはクチボソ。亀を捕ったら1か月は友達に威張れましたね。

小学校の高学年になると陸上をやっていました。陸上大会に出てボロボロに負けて、世の中には速い奴がいるなと、世の中の広さを学習しました(笑)。

 

——中学や高校時代も、体を動かすことが多かったのですか?

中学でサッカー部に入りましたが、入部して半年で廃部になってしまいました。

高校時代は水泳一辺倒。屋外プールなので、泳げるのは6月から10月。6月のプールは水温が13〜 14度で、いま考えたら絶対に入ってはいけない温度なんですよ。8月になるとプランクトンや藻でいっぱいになって、前がよく見えない中を泳ぐ(笑)。塩素を入れると一応透明になるので、PHを見ながら塩素をボコボコ入れる。当時はゴーグルなんてなかったので、その中で何時間も泳いでいると目がやられるんですね。ですから私はいまでも目が弱いです。

 

——現在も続けているスポーツや趣味は何ですか?

新型コロナの前まではスポーツジムで泳いでいました。20歳頃に始めたマリンスポーツも趣味の一つです。

また、読書は司馬遼太郎の本を繰り返し読んでいます。他にもいろいろな作家の本を読みますが、やっぱり司馬遼太郎は特別ですね。中学生の時に『新史太閤記』を読んだのが始まりで、その後シリーズ物を読むようになり、『坂の上の雲』でハマりました。

 

——学生時代の話に戻って、大学院で障害児教育を専攻するまでの経緯を教えてください。

スイミングスクールの先生時代
スイミングスクールの先生時代

大学は工学部でした。しかし、卒業後は「水泳のオリンピック選手を育てたい」という夢を追いかけて水泳のコーチになりました。ところが実際にやってみると、実現できないことに2年くらいで気づくわけです。そこで方向転換しました。

実は私は高校生の頃まで、「教員にだけはなるまい」と心に決めていました。その理由は、父が聾学校の教員で、土曜も日曜も家に子ども達が集まって勉強を教える寺子屋のようになっていて、自宅が安らぎの場ではなかったからです。でもそういう環境で育ったので、最初にできた友達は聴こえない子でした。


そういう背景に加え、大学時代のアルバイトで子どもに教える面白さを感じていたこともあり、いつしか教員免許を取ろうという方向になったんですね。それで大学院に進学しました。本当に自分の勉強をしたのはそこからです。

大学院での研究を含め、同期や先輩から非常に刺激を受け、良い指導教員にも巡り会うことができました。そういう出会いの中で切磋琢磨したことが自分にとって大きかったと思います。

 

筑波技術大学で「夢」をつくり「一生の友達」と出会おう!

——在学生へのメッセージをお願いします。

広い視野を持って、まず自分の夢をつくること。そしてそれに対して具体的な手順を考えること。そういう意識を持って学業に臨んでください。

 

——入学を目指す皆さんへのメッセージをお願いします。

高校時代は水泳に熱中、紆余曲折を経て教員の道へ

本学には、他の大学に比べて格段に優れた「障害を補償する環境」があります。その環境の中で、存分に自分の能力や可能性を引き出すことができます。そして大学卒業後の就職や進学に備え、心や能力の準備をする体制も整備しています。就職率が良く、何よりも一生の友達ができます。この魅力あふれる筑波技術大学に、ぜひ入学していただければと思います。

Profile

石原 保志(いしはら やすし) (学長)

筑波大学大学院修士課程教育研究科障害児教育専攻を修了。
平成17年筑波大学論文博士。
平成元年に筑波技術大学の前身である筑波技術短期大学に助手として赴任。
平成17年の4年制大学移行後は、障害者高等教育研究支援センター長、副学長を経て、平成31年4月から現職。
専門は心身障害学。