はじめに
「個人キャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される」という言葉をご存じでしょうか?これは、スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ氏が提唱した「計画的偶発性理論」によるものです。私自身、筑波技術大学(以降、技大)に入学したのも、そこで得た気づきも、まさに「たまたま」でした。明確な目的や情報保障への期待があったわけではありません。しかし今思えば、技大でなければ得られなかった「たまたま」の気づきがあったと感じています。本記事では、私がなぜそう思うのか、その理由を紐解いていきます。
1. 技大に入ろうと思った理由:明確な志望理由があったわけではない
部活と文化祭実行委員会に打ち込んだ高校時代
筑波大学附属聴覚特別支援学校高等部普通科(以下、附属高等部)に在学していた頃、私が熱心に取り組んでいたのは陸上部と文化祭実行委員会でした。陸上部では仲間と共に全国聾学校陸上競技大会で優勝し、その後は部長を務めました。文化祭実行委員会では、委員長として同期や後輩たちに支えられながら文化祭の企画運営に尽力しました。私は、目の前のことに全力で取り組むタイプの人間だったと思います。

附属高等部の文化祭で舞台に立つ当時の筆者。文化祭運営など目の前の一つ一つに全力で取り組んでいた高校生時代であった。
技大を知ったきっかけと当時の印象
技大を知ったのは、当時学年担任の先生が企画してくださった技大見学がきっかけでした。その記憶で唯一残っているのは、授業の見学です。なぜ、授業の見学だけ記憶に残っているかというと、「情報保障が充実していそう」というポジティブな感想を抱いたからです。その授業で、先生と学生が手話でやり取りしている様子を見て、「技大は附属高等部のように、当たり前にコミュニケーションできるんだな」と思いました。というのも、前に他大学のオープンキャンパスで受けた体験授業で先生と他参加者のやり取りがあったのですが、その内容が全く分からず、やり取りに参加できなかったという経験がありました。今思えば、そういうことがあったからこそ、先生と学生が手話でやり取りしている様子が印象に残ったと思っています。
しかし、目の前のことに全力で取り組むタイプだったが故に、「技大での大学生活」という将来のことを具体的にイメージできませんでした。特に、自身の学びたい内容と技大に設置されているカリキュラム内容が全く合わなかったのです。当時は農業系を学びたいと考えていたため、情報科学や先端機械、建築といった工学系を学ぶ技大で楽しく大学生活を送るイメージが全く湧かなかったのです。
そのため、技大見学を通して持った印象は「情報保障はいいが、学びたい内容が合わず、つまらなさそう」というのが、正直なところでした。早々に進学候補から外したことは言うまでもありません。
他大学進学の断念と、結果としての技大進学
附属高等部1年生の頃から、農業系を学べる大学、例えば茨城大学、東京農業大学、新潟食料農業大学と、授業での情報保障を相談しました。情報保障手段としては、ノートテイクやパソコンテイクが主になるという話になりました。ノートテイクやパソコンテイクは講義内容の4割-8割の情報量を伝えてくれると言われており、講義内容を完璧に情報として受け取れるわけではありません。しかし、農業系を学びたいこともあり、自身の努力と入学後に関わるであろう同期の助けで足りない情報を補おうと考えていました。
しかし、附属高等部3年生になると、農業系を学べる大学への進学を断念しました。きっかけはコロナ禍でした。コロナ禍によって、学校にもどこにも行けない状況が3ヶ月間続きました。全力で取り組むべき目の前のことがなくなり、受験勉強の意欲もなくなりました。また、進学を考えていた大学からは「希望する情報保障を提供するのが難しくなった」という話が来ました。多くの授業がオンラインに切り替わり、それらの大学にはオンライン授業での情報保障のノウハウがなく、十分な支援が難しいという状況でした。
そのため、当初は「情報保障はいいが、学びたい内容が合わず、つまらなさそう」と進学候補から外していた技大に行く、正確には「行かざるを得ない」状況になりました。こうして、2021年4月、「たまたま」技大に入学することになりました。
2. 学部4年間で得た気づき:双方向コミュニケーションが「たまたま」の気づきを生む
双方向コミュニケーションが当たり前の環境
技大に入学して、びっくりしたことはいい意味でありませんでした。なぜなら、高校生時代にオープンキャンパスで訪れた他の大学の風景と同じ風景だったからです。オープンキャンパスで訪れた他の大学では、先輩後輩、友人、先生がコミュニケーションを取っている風景が当たり前にありました。それは技大でも同じで、先輩後輩、友人、先生がコミュニケーションを取っている風景が当たり前にありました。違うところはたった2つ。コミュニケーション手段が音声言語か手話言語かということと、自分もそのコミュニケーションに当たり前のように参加できることです。
自分もコミュニケーションに参加できる技大の中で、私は同期と一緒に課題に取り組む、先生と授業内容について話す、サークルやボランティアで先輩と交流するなど、様々な経験をしてきました。その中で、「たまたま」先生と将来やりたい研究の話ができたり、「たまたま」先輩から子供が分かりやすい資料の作り方を教えてもらえたり、「たまたま」の出来事に遭遇することも少なくありませんでした。これは、後に「たまたま」気づきを得られた大きな理由となります。

文泉ボランティアに参加している筆者。準備の過程で様々なことを先輩や同期から教えてもらったり、コミュニケーションを取ったりしていた。
先生の何気ない一言がターニングポイントに
「夏休みにチーム開発をする授業があるんだけど、参加してみる?」という先生からの一言が私の転機となりました。この一言が出てきたのは、先生と研究ミーティングをしていた時でした。研究とは関係ないチーム開発の授業を先生は私に「たまたま」提案してくださいました。学部2年生となり、何かしら全力で取り組むことを作りたかった私は、そのチーム開発をする授業に参加することを決めました。
チーム開発をする授業とは、アジャイルMiniCampのことでした。アジャイルMiniCampとは、ソフトウェアシステム開発手法の1つであるアジャイル開発を琉球大学と筑波大学と合同で学ぶ授業です。そのアジャイル開発では、チーム内でのコミュニケーションが非常に重要になります。すると、あるメンバーがが他のメンバーに対してプロダクトの価値について話しているところを「たまたま」見て、ソフトウェアシステムの価値を言語化する方法に気づくことができ、また他のメンバーが技術の話をしているところを「たまたま」見て、技術を学ぶことができました。このように、「たまたま」から気づくことがたくさんありました。
その結果、自身の中で「チーム開発をもっとうまくやりたい、チーム運営をもっとうまくやりたい」という意欲が湧きました。
広がる活動と偶発的な気づき
アジャイルMiniCamp以降、私は学外イベントやチーム開発、組織の活動に積極的に参加するようになりました。例えば、アジャイル開発を学んで実践する人が集まる「RSGT」や短期間集中でソフトウェアシステムを開発するイベント「ハッカソン」、ソフトウェアシステム開発インターンシップ、学園祭実行委員会、などです。
アジャイルMiniCampで「たまたま」気付いたことをやってみると、さらなる気づきを「たまたま」得られました。これらのことを書こうとすると長くなってしまうので、またどこかの機会で書きたいと思います。ただ、こうしたことができるようになったのは、「たまたま」技大に入ったからだと今は思っています。

ハッカソンでアイデアを出し合う学生たち。「たまたま」出たアイデアに気付かされることもあった。
3. これからの目標、挑戦したいこと:より良い未来のために
現状では、「もっといい未来をつくる」という壮大すぎる目標しか言語化できていません。なぜなら、目の前のできることややりたいことに集中しており、じっくり考える時間を取っていないからです。しかし、私にとっての「もっといい未来」とは何かと問われれば、それは誰もが、ふとした瞬間に訪れる成長や挑戦の「たまたま」の機会を、より掴みやすくなり、そしてその価値ある一瞬を逃すことなく、自らの力に変えていけるような社会だと答えます。私が技大で経験してきたように、予期せぬ出来事や出会いがもたらす「たまたま」の気づきは、人を大きく成長させます。だからこそ、これからは世界中の人々がそうした貴重な「たまたま」の機会にもっと気づきやすくなるように、何らかの形で貢献していきたいです。その未来を実現するための具体的な方法は、もしかしたらこれからの活動の中でまた「たまたま」見つかるのかもしれません。その日を楽しみに、今は目の前のことに全力で取り組んでいきたいと考えています。
おわりに
技大は、「たまたま来て、たまたま気づきを得られる」ハードルが低い場所です。「面白そう」「やってみたい」と思える偶然の芽がたくさんあります。技大に入るために立派な志望理由を持つ必要はありません。みなさんの「たまたま」を素晴らしい経験に変えてくれる大学、それが技大なのです。