大杉豊教授へのインタビュー後編です。前編では、ろう者学関連の授業の内容やその授業から学べること、キャリアとの関わりや卒業生の感想など、幅広く伺うことができました。後編も、聴覚障害のある社会人によるろう者学トーク、学外の教育機関や地域社会との垣根を超えた関係作りから、本学に来る前の貴重なお話まで盛りだくさんな内容です。ぜひご覧ください。
学外の教育機関や地域社会と垣根を超えた関係を築いていくために
——大学と各教育機関や地域社会などをつなぐ活動にも積極的に取り組んでおられますが、詳しくお聞かせください。
2012年に、障害者高等教育拠点事業の一環として「ろう者学教育コンテンツ開発プロジェクト」を立ち上げました。これまで蓄積してきたろう者学関連の教育リソースを整理したものや、社会の様々な分野で活躍するろう難聴者を紹介したロールモデル映像や啓発資料などをウェブサイトに掲載し、いつどこでも視聴していただけるようにしています。また、自立活動など学校の授業で活用できる学習指導モデル案や教材などもウェブサイト上に公開し、全国の教育機関の関係者が必要に応じて気軽にいつどこでも利用してもらえるようにしています。
——新型コロナウィルス感染症によるパンデミック前後で、何か変化はありましたか。
新型コロナウィルス感染が流行するまでは、学外の大学や教育機関などに赴いてろう者学関連のワークショップやセミナーを開催したり、聴覚障害のある社会人による講演会「ろう者学ランチトーク」などを開催し、他大学の学生や教職員たちと交流する企画も定期的に設けたりしてきていました。そして、これらの取組みで得られた成果をウェブサイトにて公開し、当日参加できなかった方々にも視聴していただけるようにしてきました。
始めた当初から好評をいただいている「ろう者学ランチトーク」ですが、新型コロナウィルス感染が拡大してからは、対面で実施する代わりにオンラインに切り替え、動画「ろう者学トーク」を作成し、配信するなど新たな取組みも始めています。いつどこでも好きな時間に繰り返し視聴できるということで、以前に増して好評をいただいています。今までは会場に足を運ばなければならず参加者も限られていましたが、オンラインに切り替えてからは本学学生や学内関係者だけでなく、全国各地の高等教育機関やろう学校、社会人団体などからもお申し込みいただくようになりました。今後もこのような取組みは続けていけたらよいと考えているところです。
——ろう者学トークに登壇されている聴覚障害のある社会人は、どのような仕事をされているのでしょうか。
今までにろう者学トークにご登壇いただいた人たちは、会社員から公務員、大学教員・研究員、学校教員、エンジニア、ユニバーサルデザインアドバイザー、医療従事者、スポーツ選手・関係専門家、デザイナー、接客対応職員、団体職員、施設職員、プロダンサー、語学講師など、職種も実に多様です。
本学卒業生たちが口を揃えていうには、「筑波技術大学の学生でよかった」「筑波技術大学に入っていなかったら、今の自分はいなかった」「筑波技術大学での出会いは一生の財産になっている」と。大学教員としては、これほど教員冥利に尽きることはありません。
——先生ご自身の専門や今までの経験をお聞かせください。
幼稚部から小学部2年まではろう学校(聴覚特別支援学校)、その後は一般校できこえる人たちと一緒に学んできました。このような経験から、早い段階で自分の障害について深く考えるようになり、障害のある人にとって生きやすい社会とはなんだろう、より良い社会にしていくために自分にできることはないだろうかと思うきっかけにもなりました。
大学時代は、きこえない先輩たちと交流を深めていく中で、当事者としての経験や思いを体で表現する舞台芸術の魅力に惹かれ、劇団役者として活動していくようになりました。同時に、手話について言語学の視点から研究したいと思うようになりました。京都大学霊長類研究所でのチンパンジーの手話コミュニケーションに関する研究、ダスキン愛の輪基金奨学生として米国西部ワシントン州シアトルでの1年間研修を経て、東部ニューヨーク州ロチェスター市にあるロチェスター大学大学院に留学、手話言語学の研究に従事してきました。博士号を取得し、しばらく現地で研究活動した後2000年に帰国、全日本ろうあ連盟本部事務所長としてきこえない人の権利擁護運動などに奔走してきました。
事務所長をしていた当時は、日本が国連の「障害者権利条約」に批准する以前の頃で、障害者の学修や教育、就労そして生活などの環境も十分に整っているとは言えませんでした。障害者や手話に対する偏見や差別が今より大きかった頃でもあります。まずは、国内の法整備などの基盤の底上げから始めていかなければなりませんでした。当事者一人一人の声に耳を傾けながら、様々な情報やデータを集めて膨大なる資料などを作っては、国や地方自治体のお役人さんたちと話し合いを重ねていくという地道な活動を続けてきました。陰には、長年草の根運動に力を注いできたきこえない先人たちや彼たちを取り巻く人たちの大きな支えがありました。「障害者権利条約」の批准を経て「障害者差別解消法」など国内の法整備も進み、障害者の社会参加も次第に広がっていくようになりました。
本学に来てからは現在に至るまで、授業や学内プロジェクトなどをとおしてきこえない学生へのエンパワメント指導をする傍ら、手話言語学に関する研究や国際協力、グローバル人材育成、手話通訳養成など、アクセシビリティ全般に関することにも精力的に取り組んできています。特に最近は、手話言語法制定推進、デフリンピック2025日本招致、医療場面における情報保障、国連における手話言語に関する理解啓発などにも力を入れています。
聴覚障害者にとって、コミュニケーション手段の一つとして手話はかけがえのないものなのです。手話は、いわば水のようなものなのです。水がなければ、人間は生きられませんよね。それと同じように、手話がなければコミュニケーションがうまく取れない、人間本来としての姿を見失いやすくなるのではないかと思います。そういう意味でも手話言語法制定は、きこえない人のコミュニティにとっては悲願なのです。
——最後に、在学生や受験生、卒業生へのメッセージをお願いします。
ろう者学関連の授業を学ぶのは本学だからこそできることでもありますし、本学の強みでもあります。海外では学べるところがありますが、国内では本学以外で学べる大学はほとんどありません。本学にいる間に、ろう者学について学び、人生において必要となるであろう知識と技術を身につけていって欲しいと思います。授業で学んだ後に忘れてしまっても構いません。卒業した後、社会に出てなにかしら壁にぶつかったりした時に、少しでも本学のろう者学関連の授業で学んだことを思い出し、役立ててもらえれば嬉しいと思っています。
そして、本学だけでなく、全国の大学に通う聴覚障害のある学生とも積極的に交流し、ネットワークを広げていって欲しいと思います。その時に、本学でのろう者学の授業で得た知識や技術を分けあったりしていってもらえると良いと思っています。このような経験を通じて、お互いに支え合える仲間を作るなり、本学卒業生や現在高校に通う後輩とも触れ合う機会を作るなり、積極的に自分から輪をどんどん広げていって欲しいと思っています。
(聞き手より)
共生社会の実現や多様性の尊重が叫ばれるようになってきている昨今、「ろう者学(Deaf Studies、デフスタディーズ)」を通じて多角的な視点から再考し、障害があることをマイナスとして捉えるのではなく、障害があるからこそ生み出せる価値を見いだしていくこと、人生のあらゆる場面におけるエンパワメントの重要性について語っていただきました。
このような取組みを通じて、心のバリアフリーを体現し、多様性を認め合うことで、障害のあるなしに関わらず誰もが暮らしやすい社会の実現ができれば良いと思います。
大杉先生、今回はお忙しい中本当にありがとうございました!